看取る事の出来る幸せ。
これを今噛み締めています。
この記事はとても重い内容だと思います。
詳しい経緯は私を含む関係者のmixi日記で書き記していますから、できればこの日誌には書かずにおきたいと思う出来事でした。
けれど敢えてこの日誌に記すのは、これを読んでくださる方達に、私たち保護活動に携わっている者の気持ちを再度伝え、問題提起したいからです。
今回の出来事で、私達の様な保護活動に関わっている者から、猫を譲り受ける人の中にも、保護主や関係者の想いを汲み取っては下さらない方もいるのだと判りました。
それがとても残念でなりません。
またそんな方に保護猫さんを託した事をとても残念に思います。
白黒七三分け兄弟として里親募集したせいなん君。
上司に保健所に連絡するという言われ乍らも、保健所がどんな風に命を終える所か良くご存知だった保護主さんは、絶対にそんな場所にだけは送りたくないと、必死の思いで保護して、縁あって猫の幼稚園に入園しました。
ほんの100gの小さな命、
関係者一同で授乳して育てた愛しい命。
そのせい君が先日亡くなりました。
せい君は為吾郎君として半年を里親さんの元で過しました。
ご夫妻の一人っ子して、可愛がって頂いておりました。
ご主人は今迄動物と暮らした経験はなく、動物に接する態度や心持ちに、私達としては若干の不安材料はあったのですが、奥様の方は、ご実家で赤ちゃん猫さんを保護して育て里親探しをした経験もあるとの事で、それならきっとご主人の気持ちもサポートして下さるだろうと考え、譲渡を決めました。
実際ご主人も可愛い盛りの為ちゃんを日々可愛がって下さってた様で、その日記を拝見し乍らホッと安堵していたのです。
ですが、秋になって体調を崩し、その後ヘモバルトネラ症と判り、その経過が思わしくない事からご夫妻の態度が変わってしまいました。
処分する
猫はいくらでもいる
畜生にこれ以上時間もお金もかける気はない
土曜までに治ったら生かしといても良いというてるでしょ?
泣いてばっかりなら今すぐ処分する?
ご主人がそう言ったと、そんな言葉が日記に記されました。
そしてもっと哀しい事に、彼女にはそう言うご主人ととことん話し合いをする事も、説得するという事も出来ない様でした。
保健所での処分というのは、決して安楽死ではありません。
まだご存知ない方には是非知って頂きたい事実です。
そこに集められた動物達が、どんなに苦しんで最期を迎えるか。
ネットで少し調べれば、衝撃的な映像も見つかるでしょうし、多くの文献が出てくるでしょう。
保護主さんが、決して保健所だけには連れて行きたくないと思い、必死で保護した子を、何故また保健所にと言う言葉が出てくるのか。
私には全く理解出来ない心情です。
彼女の日記に残した私のコメントです。
「夫婦で話し合って頂きたくて、日曜には強制給餌のお手本を見て頂いたのみで、そのまま為ちゃんを連れて帰って頂きましたが、平行線のままなのですね。
命に対する認識の違い、感性の違いは、ちょっとやそっとじゃ埋まらないのでしょうか。
私達は安楽死を認めないのではありません。
闘病の末に決めた、それが飼い主としての最期の愛情表現であれば、猫さんにも人にも後悔は残らないでしょう。
でもそれは、決して処分という言葉で表す行為ではありません。
家族の胸に抱き乍ら、獣医師が静かに薬剤を注射して、最期の瞬間を皆で静かに穏やかに迎える行為です。
処分…
想像もしたくない行為です。
命あるものは皆平等に死を迎えます。
その生の価値は決して長い短いではなく、関わり合う人や生き物同士の魂の結びつきの深さだと信じています。
本来この病気は適切な治療を続ければ命を落とす事は滅多にないと認識しています。
FIPやFeLVの様な、不治の病ではないはずです。
でも昨日の為ちゃんはまるでFeLVの末期症状の猫さんのような状態でした。
あんなに酷い貧血を見たのは始めてです。
あの状態を数日続ければ間違いなく命を落とす事になるでしょう。
だとしたら、最愛の家族を看取る覚悟を、二人で看病し乍ら固めて行く、この大事な行為をご夫妻でして頂きたかった。
それこそが魂の結びつきだと思うからです。
そう思ってわざとこちらで預からなかったのですが。。。
猫さんは可愛いだけの玩具ではありません。
闘病と又その後に来るお別れ、看取る事の大切さをご理解戴けないのならば、15日迄待つ必要もないでしょう。
明日夕方にでもこちらからお迎えに上がります。
後は私どもでお世話致します。
ただ、私が心配なのはご夫婦の感性の違いによって起こったこの出来事が、貴方を生涯苦しめてしまうだろうとういことです。
そうならない様に、もっともっと話し合って欲しかったのですが。。。
とても残念です。
では11日午後4時半頃、せい君を迎えに上がります。
その侭病院に走りますので、可能なら今迄の病院に連絡し、FAXでもいいのでカルテのコピーを貰っておいて下さい。」
こうしてせい君は猫の幼稚園に戻り、その侭緊急入院となりました。
正直なんで今迄入院していなかったのかと思う程、酷い貧血だったのです。
彼女はお迎えに行った際に、治療費として決して少なくはない額を包んで下さってました。
もしかするとそれは、奥様のお母様、為ちゃんを初孫として可愛がって下さってた方のせめてもの愛情だったのでしょうか。。。
ありがとうございます。
(入院費用はかなり高額になりました。残りがあればお返しさせて頂こうと思っておりましたが、それも適わずで残念です。
また収支報告しますので、その際にご確認下さいませ。)
でもその費用で、もう少し早く入院させて頂けていれば。。。私がそう感じたのも事実です。
ヘモバルトネラ症及びせい君の症状についてのお話しは、又別の機会に廻しますが、11日から19日迄の入院でも、せい君は回復しませんでした。
退院し、残りの時間を穏やかに過す為に、猫の幼稚園に戻ったせい君に、入院中と同じ様に沢山の方が会いに来て下さいました。
ただ残念乍らその中に元ご家族のご夫妻はいらっしゃいません。
彼女の体調不良との事で、せい君に会いに来ては戴けませんでした。
最期の時は、私ととんちゃん、ぶぃぶぃあんさんとで看取りました。
これ以上はないと思える程、穏やかな逝き方でした。
12月20日PM20:16の事でした。
半年間の一人っ子生活は、せい君に取ってきっと楽しいものであったでしょう。
でも最期の瞬間を猫の幼稚園で迎えた事は、どうなんだろう?と考えます。
せい君は。。。
入院中、家族と離れて寂しいというよりは、人が側に居なくて寂しいと言った感じだったんです。
お見舞いに訪れる方全てに甘えて、だっこしてもらい、ゴロゴロ言い乍らとてもご満悦な表情でした。
退院して猫の幼稚園に戻って来ると、安心しきっているようでした。
それは元のご家族との間に、絆が強く結ばれては居なかったからなのでしょうか?
半年間の時間は、そんなに短く軽いものだったのでしょうか?
可愛がられていても、愛ではない、と感じてでもいたのでしょうか?
それとも、ご主人の心ない言葉も、彼女の無力も、全て受け入れた悟りの面持ちだったのでしょうか。。。?
もしくは只単に、私がせい君を託す相手を間違えてしまったということなのでしょうか?
今改めて看取る幸せと看取られる幸せについて考えます。
今迄決して少なくない数の猫さんを看取ってきました。
確かに看取ることが辛くないとは言いません。
命が尽きようとしている時に、私達はとても無力なのです。
その無力に居たたまれない想いをするのは、きっと誰だって同じ様に辛いでしょう。
けれど一生懸命闘病する猫さんを支え、一緒に過ごした日々があるから、その子を最期まで看取る事が出来た事を、とても誇りに感じます。
今も園児の中には闘病中の猫さんがいます。
その子の為に出来る事はそれぞれ症状によって違うけれど、その行動は全て私達の愛情です。
どうかよりよい生を生きて欲しい、そう願っています。
私達は、保護主の切実な想いを無視して、その猫さんに関わった人々の沢山の想いを無視して、保健所での処分などという手段を選択して欲しくはありません。
私達は、決して高額な医療行為を求めているのではありません。
延命治療ではなく安楽死を選択するのも、
猫さんに負担の掛かる通院や治療ではなく、自然な状況に任せるのも、
それが家族の愛情ゆえならきっと満足のいく結果でしょう。
生きる事と死ぬ事は、表裏一体です。
どの生き物にも必ず訪れる死を、
眼をそらさずに、
逃げ出さずに、
その時を一緒に迎えて欲しい。
そう願わずにはいられないのです。
せい君の御霊が安らかでありますように。。。合掌。