昨年末の記事で、とんちゃんと二人三脚で闘病頑張ってる様子をお伝えしたまちゃが、昨日旅立ちました。
すっがん君と一緒に、猫の幼稚園迄まちゃの看病に来てくれてたとんちゃんが、31日はいつもより早めの時間に、「まちゃ、また来年ね」って約束して帰って行ったのですが、まちゃはちゃんとその約束を守りました
除夜の鐘を聞き、新年を迎えた時に声かけたまちゃは、ご機嫌さんでした
一時間後に声かけた時、いつもは頭を上げて私の顔を見てゴロゴロ言うのに、頭を上げずにゴロゴロ。
ちょっと気になったので、その侭様子を気にかけて、更にもう一時間。
二時になった頃のまちゃは、呼吸が早くなりしんどそうな様子。
胸に抱き、とんちゃんの携帯にメールしました。
まちゃの様子と、今直ぐどうのってことはないと思うけど…って内容でした。
メールを送ったその直ぐ後に、まちゃが中程度の発作を起こしました。
すぐ収まりはしましたが、これはまちゃが「とん母呼んで~」て意思表示してるんだと理解して、直ぐとんちゃんに電話しました。
何となく寝付けずにいたとんちゃんは、寒い真夜中、吹田市から猫の幼稚園まで自転車飛ばして駆けつけてくれました。
まちゃはその間、浅くて速い呼吸なので、携帯酸素で作った酸素を与えていました。効いているのかどうかよく判らないけど、他には方法もなく、酸素が空になった後は、ただただ、とんちゃんが間に合ってくれる様に、まちゃがそれ迄頑張ってくれる様にと祈り乍ら胸に抱いていました。
とんちゃんが到着した時、まちゃはとっても安心した様でした。
とんちゃんの愛情一杯のメッセージを聞き乍ら、まちゃが静かに息を引き取ったのは、午前3時40分頃のことでした。
最期迄ご機嫌さんだったまちゃ。
松の内頃迄は看護が続くと思っていた私ととんちゃんは、元旦の一日をとても手持ち無沙汰に過しました。
今迄は寂しいお別れをしても、まだ闘病中の子がいたりして、なかなか気を抜けなかったのもあるのでしょう。
日に何度も、まちゃに声をかけたり、シートを換えたり、強制給餌したり。。。
そんな時間を懐かしく思い起こしました。
きっとまちゃはとんちゃんとの約束を守り、尚かつお正月休みの間に旅立つ事が一番いいタイミングだと思ったのでしょう。
おめでたいお正月だけれど、まちゃの訃報を知り、駆けつけてくれた仲間達に感謝します。
二日の今日、すおう君を見送ったのと同じ斎場で、まちゃをとんちゃんの家の子として見送ってきました。
総勢14名もの沢山の仲間が参列して下さいました。
一時うこん君と一緒にお家に迎えて下さった、兼吉さんご夫妻も駆けつけて下さいました。
寂しいだけの感情ではなく、明るく楽しく、まちゃを皆で送り出してきました。
心から感謝致します、ありがとうございました。
人も猫も大好きだったまちゃはきっとこうして大勢に見送られてとても喜んでいるでしょう。
すおう君の時より大きな骨壺に入って、帰って来たまちゃ。
神経症の為、徐々に四肢が動かなくなっても、ご機嫌だったまちゃ。
そんなまちゃを介護し乍ら過ごした日々は、猫の幼稚園に取っても私にとっても、またとんちゃんにとっても、とても貴重なものです。
身体は小さいけれど、短期間にとても大きなものを残してくれたまちゃに感謝します。
そして、とんちゃんとまちゃを応援して下さった皆さんに、心から感謝致します。
本当に有り難うございました。
でも願わくば、今年はこんなお別れではなく、新しい家族の元に送り出すお別ればかりでありますようにと、祈らずには居られません。
まちゃの御霊が安らかでありますように。。。合掌